こんにちは。絵本制作室の三島です。
この記事は、「春空の下、ゆる散歩の巻」の続きです。
お散歩の後半では、いよいよ江戸城の歴史の一端が垣間見えてきます。
汐見坂から見える景色
都道府県の木を観察したあとは、汐見坂へやってきました。
徳川家康が江戸城を建てたころは、この坂から海を眺めることができたことから、「汐見坂」という名前が付いたといわれているそうです。
ここも石垣が立派!
いま、汐見坂から見えるのは、丸の内のビル群です。
皇居東御苑の敷地外には丸の内のビル群がそびえ立ちます
この坂から見下ろす海は、どんなだったのでしょうか。令和のいまここに立ち、同じ場所から海を眺めていたかもしれない将軍に、しばし思いを馳せてみるのでした。
かぐや姫に会えそう?!黄金の竹が揺れる竹林
皇居東御苑には、本当に何でもあります。次に私が惹かれたのは竹林エリアです。私が子供に住んでいた地方では、うっそうとした竹やぶあちこちにあり、竹林は珍しい風景ではありませんでした。
しかし!竹にこんなにたくさん種類があるなんて知りませんでした。
下の写真は「キッコウチク」という種類の竹。下の部分だけ、節と節の間が交互に膨れて亀甲状になっているのが特徴です。ひもで縛ったみたいになっていて、不思議な形状ですよね~
キッコウチクの根元部分
下の写真は「キンメイチク」です。名前のとおり、本当に黄色、いや黄金色に輝いていてとても美しい。いまにもかぐや姫が生まれそうで、竹取の翁になった気分になりました。
黄金色に緑色のスジが入っていて、とてもキレイ!
東御苑の目玉、天守台に立つ
いよいよ本丸の天守台です。天守台とは、お城のメインの建物である天守の土台となるものです。江戸城の天守は1606年に建てられて以来、3回にわたり建てられました。でも、明暦(1675年)の大火で焼失してからは、天守が立て直されることはなかったそうです。
南北に約45メートル、東西に約41メートル、高さ約11メートルもあります
江戸時代は、その後1868年まで続くわけですが、その間、国の象徴ともいえる天守がない状態だったなんて、正直驚きました。今でいうと、たとえば、国会議事堂が火事で焼け落ちてしまったけれど、建て直すことはしなかったという感じなのでしょうか。それも、江戸時代が平和だったため、再建不要と判断されたとのこと。潔いですよね。
(https://tokyo-trip.org/spot/visiting/tk0250/)
あとから調べてみると、この天守台にも工夫がされていて、下の方の石垣は大きく上の方は小さい石を積んでいるそうです。これにより遠近法でより高く見せていたとのこと。
(https://tokyo-trip.org/spot/visiting/tk0250/)
確かに下の石のほうが大きく、上の石は小さい気が…
江戸城跡の歴史を感じられる皇居東御苑。
ぜひ皆さんもお散歩してみませんか?
(おしまい)