【ブログ】春空の下、ゆる散歩の巻②

こんにちは。絵本制作室の三島です。
この記事は、「春空の下、ゆる散歩の巻」の続きです。

トップスタジオHR社の親会社のSさんが企画してくれた「ぶらり千代田区散歩・皇居東御苑の巻」のレポートをゆるっとしています。
お散歩の後半では、いよいよ江戸城の歴史の一端が垣間見えてきます。
 

汐見坂から見える景色

都道府県の木を観察したあとは、汐見坂へやってきました。


徳川家康が江戸城を建てたころは、この坂から海を眺めることができたことから、「汐見坂」という名前が付いたといわれているそうです。


ここも石垣が立派!

 

いま、汐見坂から見えるのは、丸の内のビル群です。


皇居東御苑の敷地外には丸の内のビル群がそびえ立ちます

 

この坂から見下ろす海は、どんなだったのでしょうか。令和のいまここに立ち、同じ場所から海を眺めていたかもしれない将軍に、しばし思いを馳せてみるのでした。

 

かぐや姫に会えそう?!黄金の竹が揺れる竹林

皇居東御苑には、本当に何でもあります。次に私が惹かれたのは竹林エリアです。私が子供に住んでいた地方では、うっそうとした竹やぶあちこちにあり、竹林は珍しい風景ではありませんでした。

しかし!竹にこんなにたくさん種類があるなんて知りませんでした。

下の写真は「キッコウチク」という種類の竹。下の部分だけ、節と節の間が交互に膨れて亀甲状になっているのが特徴です。ひもで縛ったみたいになっていて、不思議な形状ですよね~


キッコウチクの根元部分

 

下の写真は「キンメイチク」です。名前のとおり、本当に黄色、いや黄金色に輝いていてとても美しい。いまにもかぐや姫が生まれそうで、竹取の翁になった気分になりました。


黄金色に緑色のスジが入っていて、とてもキレイ!

 

東御苑の目玉、天守台に立つ

いよいよ本丸の天守台です。天守台とは、お城のメインの建物である天守の土台となるものです。江戸城の天守は1606年に建てられて以来、3回にわたり建てられました。でも、明暦(1675年)の大火で焼失してからは、天守が立て直されることはなかったそうです。


南北に約45メートル、東西に約41メートル、高さ約11メートルもあります


江戸時代は、その後1868年まで続くわけですが、その間、国の象徴ともいえる天守がない状態だったなんて、正直驚きました。今でいうと、たとえば、国会議事堂が火事で焼け落ちてしまったけれど、建て直すことはしなかったという感じなのでしょうか。それも、江戸時代が平和だったため、再建不要と判断されたとのこと。潔いですよね。
(https://tokyo-trip.org/spot/visiting/tk0250/)

あとから調べてみると、この天守台にも工夫がされていて、下の方の石垣は大きく上の方は小さい石を積んでいるそうです。これにより遠近法でより高く見せていたとのこと。
(https://tokyo-trip.org/spot/visiting/tk0250/)


確かに下の石のほうが大きく、上の石は小さい気が…

 

江戸城跡の歴史を感じられる皇居東御苑
ぜひ皆さんもお散歩してみませんか?

(おしまい)